HISTORY

1907年

1907年、ドイツの宝飾都市フォルツハイムで誕生。フロレンティーン・グロッセと義理の兄のハインリッヒ・ヘンケルがグロッセの前身「Suddeutsche Gold und Haarbijouterie」(南ドイツゴールド&ヘアジュエラー)を設立。女性の髪を織り込んだ装飾的な時計チェーンを作り始める。1914年、第一次世界大戦に突入し、戦地に赴く若者の間で、恋人や母親の長い髪を編み込み特殊メタルをほどこした、グロッセのモダンでファッショナブルなウオッチチェーンが流行。ヨーロッパはもちろん、遠くはインドまでその流行が伝わった。

1920年代

1918年、第一次世界大戦が終戦を迎え、女性が解放され社会進出する時代が到来。女性たちは身体を縛り付けるコルセットを脱ぎ捨て、自由と自立を謳歌。コスチュームジュエリーは宝飾品の模造品という位置からファッションを完結させるための重要な要素となった。

グロッセは、最先端のモダニズムデザインを導入し、芸術と技術を融合したアバンギャルドなコスチュームジュエリーを製造。シャネル、ランバンなどオートクチュール全盛期の人気デザイナーに注目され、グロッセは彼らにコスチュームジュエリーを提供した。

1930年代

1929年に世界恐慌が起き、世の中が保守的な雰囲気になった。1930年代は女性らしさが戻り、柔らかく流れるようなラインに。グロッセはファッションにおける保守化傾向を認め、

簡潔なアールデコと対称をなす、上品で華やかなフラワージュエリーを制作。新技術として革新的な合成ラッカーを開発。カラフルな花が人気を呼び、当時のトレンドとなった。ファッションにアートのおもしろさを取り入れ1930年の代表的デザイナーとして活躍したエルザ・スキャパレリに、グロッセは赤い花のネックレスやブローチなどのシリーズを制作した。
1937年

1937年にパリ万博「Universelle des Arts et Techniques(近代生活における技術と芸術国際博覧)」が開催され、グロッセは、コスチュームジュエリーの技術とデザインの両部門で最高賞の名誉メダルを受賞。この快挙が知れ渡り、当時のファッションアイコンであり、銀幕の大女優であったマレーネ・ディートリッヒやグレタ・ガルボなど、多くのハリウッドセレブがグロッセの顧客となった。

特にディートリッヒはグロッセのニューヨークにあった在庫を全て買い取り、当時大きな話題になった。

1930年代後半 

第二次世界大戦の影響で物資が不足していた時代。「Make do and mend」買わずにあるものを有効に使うことが提唱される中、女性たちはコスチュームジュエリーでファッションに変化をつけた。グロッセは資源不足の中、ボールやシリンダーなど工業用の部品を用い、洗練されたジュエリーを生み出した。

戦後

1945年、第二次世界大戦の終結間際、グロッセの工場があるフォルツハイムの街は大空襲にあう。街のほとんどが壊滅状態となり、グロッセの会社家屋も全壊。

全てを焼失してもジュエリー作りにかける情熱は消えることはなく、素材の残骸やわずかな機械類を瓦礫の中から掘り起こし、「グロッセ復興のモニュメント」を始めとして、ジュエリー作りを再開。「再び、すべての女性に夢ときらめきを」との思いを込めて、女性が美しく着飾ることができる平和な世の中が続くよう祈念して数々のジュエリーが制作された。

1950年代

1947年、クリスチャン・ディオールがニュールックを発表。丸みを帯びた肩と胸、細く絞ったウエスト、そして布をふんだんに使ったスカート。優美で女性らしい8ラインがセンセーションを巻き起こした。1950年代にかけディオールは「Hライン」「Aライン」「Yライン」など、次々に新しいラインを打ちだし、エレガンス全盛期となる。グロッセの高価な宝飾品と変わらない質の良さがヨーロッパの宝石店で認められ、ファインジュエリーを求める顧客の選択肢として人気を集めた。>

1955年

ニュールックで一世を風靡したクリスチャン・ディオールは、服だけでなく、帽子、靴、バッグ、香水、ジュエリーなど細部に至るまでトータルルックを提唱。グロッセのコスチュームジュエリーがブティックで販売されるやいなや大成功を収め、クリスチャン・ディオール氏は作品の質を高く評価し、彼の強い要望でパートナーシップを1955年に締結。

以後50年に渡ってグロッセは、クリスチャン・ディオール ビジューの制作を担い、またその販売権を有し、数々の名作を世に送り出した。ディオールの歴史の中でもこのような長い期間のライセンス協力は他に例を見ない。

1960年代 

冷戦、ベルリンの壁、ベトナム戦争など政治の激動にも関わらず発展をとげる。ファッションはオートクチュールからプレタポルテの時代を迎え、一部のセレブから大衆市場へ。ジーンズやミニスカートなど新しいファッションが流行し、若者がファッションの主流に躍り出た。この時代、グロッセは世界の急速な変化に迎合せず、独自のラインを守った。巧みなメタルワークで、コスチュームジュエリーでありながら宝飾品と同じスタンダードを目指してクリエーションを続けた。アメリカに2つ目の拠点を設けるなど、セレブリティーを対象に、ビジネスが繁栄していった。

1970年代 

1968~69年、学生紛争で頂点に達した若者の反乱で世界は揺れ動く。若者が文化・ファッションなど社会の主流となり、フォークロアやパンタロンなど、ファッションが多様化した。宇宙旅行にインスパイアされたクレージュやパコ・ラバンヌの影響を受け、1970年代初めにはグロッセも大胆なコスチュームジュエリーを発表。1973年のオイルショックにより、経済が混乱し景気が悪化して、コスチューム・ジュエリーがファインジュエリーに取って代わった。1970年代後半は、ファッションブランドが活気づき、創造性あふれるブランドが人気を集めた。

1980年代 

コミュニズムやベルリンの壁が崩壊し、急速な経済成長を遂げる中で、資本主義が繁栄。女性たちが、肩パットの入った服を身に着け、自立しキャリアを積み、強さを身に着けた時代。男性の所有物としての女性の象徴であるファインジュエリーをやめ、自由とファンタジーのあるコスチュームジュエリーを選択。1980年代はコスチュームジュエリーの黄金期となり、フォーマルから、仕事、プライベートまで、あらゆる場面で受け入れられた。トレンド消失の時代を迎え、グロッセは多様化の中で、様々な好みに応え幅広いジュエリーを提供する方向に転換し、毎年300を超えるデザインで需要に対応した。

1990年代 多様化の時代

ファッションのグローバル化が進んだ時代。企業の生産拠点を海外に移すことが可能となり、より安価な労働力を求めてファッション産業は「大移動期」に入った。脱構築とミニマリズムがアバンギャルドなファッションの特徴となり、Tシャツやデニムといったストリートファッションが好まれる一方、ラグジュアリーブランドが独自の高品質なデザインを発表。多様性が特徴となる。個性的でないマス・ファッションがかつてないほどの早さで市場に投入され、コスチュームジュエリーが個性を表現するために重要性を増した。

2000年代 

カジュアルなアイテムとドレッシーなアイテムを合わせたり、ロックとフォークロアなどテイストの異なる服を織り交ぜて着る「ミックスファッション」の時代に。インターネットの普及でほしい情報を瞬時に検索し、ネットでファッションショーや雑誌の服が簡単に買えるようになった。グロッセは、デザイン力と技術力を生かして、セレブリティーやデザイナーとのコラボレーションで新しい価値を創造。ロサンゼルスで開催されたグラミー賞の公式ギフトラウンジのギフトに選ばれ、2011年と2017年の2度に渡り出展して、セレブリティーに大人気となる。創立以来セレブリティーに愛されてきたグロッセの歴史は今も続いている。